さよなら絵梨
もうブログは必要ないと思ったけど、外向けに書いてもいいかなと思って、「さよなら絵梨」を読んだ感想を書こうと思う。
主人公のお母さん、死ぬことがわかって、死ぬまでの映像を残して欲しいという願望。
わたしは、彼の死後、ずっと彼のことを考えている。映像が残っているわけではないけど、わたしの思考の片隅にずっと彼がいる。思い出している、というか、ずっといる。これだけ死んだ後に思われてる人っていないんじゃないかな。もう死んでて、いない人なのに、まだ生きてる人みたいに。肉体的に死んだのは最初の死。誰の記憶からも無くなった時、2番目の死が訪れる、とかなんとか。最近のわたしは、わたしが死んでも、誰もわたしが彼について思考するみたいに覚えてる人はいないんだろうな、という点で少し寂しく思う時がある。逆に、なんで勝手に死んだ人間がこんなに思われてて、わたしは何も存在してなかったかのように死んでいくのか、理不尽に思うこともある。
わたしのことを覚えていてほしいという気持ちがあったのだろうか。わたしっていうか俺っていうか。それで自殺とかされたら、なんていうか思う壺っていうか。でも、結局、死んでから今までずっと、ずーーーーーーーーーっと、わたしは思い出したり、一緒にいるような感じになったり、都合のいい思い出だけ切り取ったり、もう最近では思い出を捏造してたり、どうであれ、わたしの人生の中に入り込んで、わたしが死ぬまで居続けるんだよね?わたしが死んだ時誰もわたしをこれだけ思う人はいないのに。
それが悔しいけど、悔しくて、忘れたいけど、そういう話じゃないしね。
手首と肘の内側?の柔らかい部分、体の4箇所、寝てる間にかきすぎて皮膚がやばい。象みたいになってる。色素沈着を通り越した、皮膚が硬化して、醜い。
それってわたしのせいなの?自傷行為の一環なの?
涙が出てくるけど、それもわたしのせいなの?わたしはもう、ひとりで立派に生きてるのに。
長い1日
また部屋のレイアウトを変えることにした。
二人掛けの無印のソファを売っ払おうと画策するも、買い取れないし引き取れないと評価され、意気消沈して粗大ゴミの予約、するも3週間後とかで、念の為ジモティに掲載する。奇跡的に近所の人が引き取りたいとのことで、前日深夜から濡れぶきして、洗濯時のマジックテープ引っ張り出して紙袋にまとめて、ソファを1階エントランスまで運んで、んで寝る。
朝9時には起きてジモティの人が来るまでソワソワ。ジモティの人はきて、ソファを積み込める車でない気がしたが、無理矢理積み込んで、無事引き取ってもらった。
夜には時事ネタライブを見る予定だったので、青山赤坂をランニングすることにした。
原宿のアボカド専門店でランチしたのち、Studiosとかいうセレクトショップでリラクスのトレンチコート再試着しようと思ったけどなくて、まあそんな感じで表参道地下鉄駅でうんこ跡見てからうんこして、んでジョグ開始。青山墓地まわり、西麻布交差点、六本木ヒルズを右手に、新国立美術館など通り過ぎながら青山墓地をフラフラし、赤坂御所の周りを走り、オリンピックの新国立競技場とかの周り走りながら表参道まで帰ってきて、スーパー銭湯で汗を流す。青山一丁目駅まで地下鉄で行って、時事ネタ笑いライブを聞いたのち渋谷で終電近くまで飲んで、電車で帰宅。長い1日だった。
政治は大ボケってのは文芸漫談にも通じると思った夜でした。
備忘録
命日をどのように過ごしてきたのか振り返ってみた。
2008 三回忌。家で過ごす 無職
2009 不明 無職、直前まで派遣でコールセンター
2010 A社の派遣を9月から開始、はじめて早々に休みをとるのに躊躇して勤務する
2011 京都旅行、鴨川に骨まく。ここから散骨スタート
2012 東京テレポート駅。翌日腰越に行っている
2013 七回忌 法事 (8月にバリ島のウブドで骨まく)
2014 腰越、江ノ島。辻堂まで往復ランニング
2015 ヒルトン東京。嘉賓にも行っている
2016 シンゴジラ鑑賞
2017 松山・直島・豊島 旅行
2018 敦煌・新疆ウィグル自治区・西安 旅行
2019 ガンジス川に全部ぶちまける、骨はビールで飲む
2020 海の上のピアニスト鑑賞
2021 川乗山
2022 ラビスタ東京ベイ、豊洲を走る
案外記憶がなくてびっくり。mixiの日記や家計簿でなんとか思い出す。2013年から2019年までのブログがなんと終了していた。本人としてログインできないので当然お引っ越しなどできず、完全に見れないものになってた。。。あと、彼氏が死ぬ前に書いてたのも無くなったってことだね。諸行無常。