自殺か自死か

以前、末井昭さんの「自殺」という本を読んで、

大変印象に残っていたので、

本屋さんで末井さんの「自殺会議」が平積みされているのを見て、

迷いなく購入してしまった。

 

その中で、末井さんが「自死という言葉をあまり使いたいと思わない」と書いているのを読んで、すごく合点がいった。

 

私は彼が死んだ後に、

アホみたいに自殺関連の本を読み漁って、

自死という言葉を知って、

なるべくそっちを使うように心がけてきた。

その言葉を使う意味も理解して、それに共感もしていたつもりだ。

 

でも、一方で、その読み漁っていた自死遺族や孤児の本に、

入りきれない自分もいた。

 

その答えが、自死と自殺という言葉の違いのような気がする。

 

そういえば、「自殺されちゃった僕」という本があって、

それも彼が死んだすぐ後に読んだことがある。

 

どっちかっていうと、こっちの方が近い気がするけど、

この本の著者は妻の死後、気が動転した勢いで書いているので、

良くも悪くも客観的になれておらず、また、

死んだ人間を神聖視しているところが、私もそうなりそうで怖くて、

あまり読み返さずに、記憶から消えていっていた。

 

今、wikipediadを見たら、著者は消息不明だそうだ。

 

自殺ってことはば口に出すとインパクトが強すぎて、

やはり自死っていった方がいい局面もある。

だから、私はこれからは、自殺と自死のハイブリッドでやっていこうと思う。