さよなら絵梨

もうブログは必要ないと思ったけど、外向けに書いてもいいかなと思って、「さよなら絵梨」を読んだ感想を書こうと思う。

主人公のお母さん、死ぬことがわかって、死ぬまでの映像を残して欲しいという願望。

わたしは、彼の死後、ずっと彼のことを考えている。映像が残っているわけではないけど、わたしの思考の片隅にずっと彼がいる。思い出している、というか、ずっといる。これだけ死んだ後に思われてる人っていないんじゃないかな。もう死んでて、いない人なのに、まだ生きてる人みたいに。肉体的に死んだのは最初の死。誰の記憶からも無くなった時、2番目の死が訪れる、とかなんとか。最近のわたしは、わたしが死んでも、誰もわたしが彼について思考するみたいに覚えてる人はいないんだろうな、という点で少し寂しく思う時がある。逆に、なんで勝手に死んだ人間がこんなに思われてて、わたしは何も存在してなかったかのように死んでいくのか、理不尽に思うこともある。

わたしのことを覚えていてほしいという気持ちがあったのだろうか。わたしっていうか俺っていうか。それで自殺とかされたら、なんていうか思う壺っていうか。でも、結局、死んでから今までずっと、ずーーーーーーーーーっと、わたしは思い出したり、一緒にいるような感じになったり、都合のいい思い出だけ切り取ったり、もう最近では思い出を捏造してたり、どうであれ、わたしの人生の中に入り込んで、わたしが死ぬまで居続けるんだよね?わたしが死んだ時誰もわたしをこれだけ思う人はいないのに。

それが悔しいけど、悔しくて、忘れたいけど、そういう話じゃないしね。

 

手首と肘の内側?の柔らかい部分、体の4箇所、寝てる間にかきすぎて皮膚がやばい。象みたいになってる。色素沈着を通り越した、皮膚が硬化して、醜い。

それってわたしのせいなの?自傷行為の一環なの?

涙が出てくるけど、それもわたしのせいなの?わたしはもう、ひとりで立派に生きてるのに。