一度きりの大泉の話

木曜日の夜10時くらいから読み始めて、
やばい、これ全部読んでからでないと寝れなさそう、と読み進めて、
結局夜中の2時半くらいに読了、その後呆然となり、なんとか気を持ち直して、
パジャマに着替えて歯磨いて布団敷いて就寝。
次の日仕事にも関わらず悶々としながら、
ちょうど終日会社のウェブトレーニングに当ててたため、上の空でありつつ無事就業。

で、今土曜日の夕方だけど、ずっっっっっと大泉の話のこと考えてる。
逃れたいのでアウトプットすることにします。

前提として、数年前に少年の名はジルベールを読んでます。ドンピシャ世代ではなくて、大学生くらいの時、なんとなく図書館にあった風と木の詩を読んでびっくりした、ということと、竹宮惠子萩尾望都は正直まあ似たようなもんでしょ、一緒でしょ、と思ってて、萩尾作品は読んでなかった、というかなり薄い読者です。漫画に関する雑誌とかコラムとかを結構読んでいたので、大泉に少女漫画家版トキワ荘的な住まいがあった、といううっすらとした知識はあった。

ジルベール本の感想は、萩尾望都ってそんなにすごい人だったんだ!という発見と、最近ではジルベールといえばジルベールワタルになってて、ギャグにしててすんませんというくらい熱いな!という2点です。

やっぱ萩尾作品読まんといかんな、と思って、トーマの心臓ポーの一族とかも読んだ。まあ、作風は全然違うな、と思った。一緒にしててごめん的な。

 

ジルベール本でほんのり感じていた違和感、、、萩尾望都はこれ読んでどう思うのかな、、、???竹宮惠子自体にそんなに思い入れがないわたしにとっては、ジルベール本で萩尾望都に嫉妬していたと書かれてるくだりが一番心にグッとくるところだった。作家が今生きてる作家に対してこんなに正直に嫉妬心とか書いて大丈夫なのかな、、、???つか、今はどうゆう関係なんだ???とぼんやりと感じた。

んで、この前本屋の前通りかかったら、この大泉本が出てて、お!?っと思い、萩尾本貸してくれた友人にラインしたところ、なんか牧歌的な話じゃなくて、拒絶の本、みたいなことを知り、ネットで少し予備知識を得た状態でおそるおそるアマゾンでポチる。ポストに投函されても怖くてしばらく取りに行けなくて、で、夜やっぱ読もっと、封を開けた次第です。

1回しか読んでないし、若干飛ばし気味に読んだ箇所もありますが、もう一度読む勇気はないので、記憶を頼りに感想を書きます。

ジルベール本の読後感は、天才同業者への抑えきれない嫉妬心とかあったものの、乗り越えて自分の作品だと心から言えるものが作れた喜び、という、まあ達成感というか自分成長ストーリー。さわやか、あと、誰のこともディスってなかった気がする。これも数年前に1回読んだだけなので、よく読めば違うのかも、だけど、悪意を感じる言及の記憶はない。だから、ふつうに萩尾作品読んだ方がいいな、これは、と思ったわけで。そう、攻撃とか悪意を感じなかったんです。これが、美化してる、といわれる所以でもあるけど、これに、盗作疑惑詰問とやっぱ忘れて&距離おきたい手紙、のくだりを入れるべきかどうか、と考えると、、、だれかのレビューで(レビューも死ぬほど読んだ)、萩尾望都は質問に対して実際には無言、答えていないので、竹宮側としては、事実の通り書くと、変な憶測とか疑惑が普通に広がるから書けんでしょ、という意見があって、わたしもそうだな、と思った。昔の話書きますって萩尾望都側に伝えてたようで、極力萩尾望都のことは書かないで、と返した、らしいので、それを考えても、この生々しいやりとりは、逆に入れられないかな、、、とも思った。不名誉な事実を隠したいという意図があったのか、だから卑怯なのか、、、どうなんだろう。わたしは嫉妬で自分をコントロールできなくなった延長に起きた、予測可能な事実だと思ったけど。ここだけ隠しても、すでに嫉妬の話してるし・・・醜いところは出してるかな、と。

大泉本の感想は、読み初めから中盤まで、行間に所々見え隠れする竹宮・増山ディスりがつらい、天才からのナチュラルな否定。竹宮惠子はその天才性に嫉妬して、自分の表現を手に入れたいともがいて、最終的に風木描いて手に入れたと書いているのに、なんかそれ(少年愛)すら否定、みたいな気がしてきた。ガラスの仮面の、二人の王女の後で、亜弓さんがはじめて役になりきれた、と恍惚状態で喜んでるのに、マヤは笑顔で「え?なんで?いつもそうでしょ?」ってバッサリ切り捨てて、亜弓さん超絶白目、みたいな。マヤの無自覚の才能に亜弓さんズタボロ。このあたりは、どっちも悪くない悲劇、と思ってました。

最大の焦点、盗作疑惑と手紙のとこにきて、何が起こっているのか理由がわからなくてパニック、そして手紙、そしてそのこと誰にも言えなくて、心身を病む、というのは、読んでいてつらかった。自己評価が低くて、自分のせい、と考えてしまうのは、いちおう私もそういうところがあるので、わかる気がしていたのだが、、、、なんだろう、いや、このわたしのせい、きっとわたしが何かしたんだ!と思い込んでるところはなんか共感できるんだけど、、、このあとがなんかすっきりしない。

手紙のくだり読んだからもう終わっていいはずなのに、まだ結構分量ある、と読んでくと、なんだろう、盗作の噂の話とかサロン解体が誰のせい、の話とか、寺山修司との仕事断った話とか、しまいには排他的独占愛の話とか、どうしようわたしの読み方の問題なのか、悪意しか感じられない。いや、全編通して、竹宮惠子を加害者にしたいわけじゃありません、と一生懸命言っているのはなんかわかる。竹宮惠子の作品と人となりについても努力して褒めてる。でも、読後感として、竹宮惠子の漫画読んでみたいな、とはならない、ジルベール本を読んだ時とは真逆のベクトルを感じる。

ジルベール本は、真偽は置いといて、書いてあることに素直に共感できる、理解できる。でも大泉本は、なんだろう、わかりそうで、わからない、わかりたくないのか?
何が何だかわからない、どうしたらいいんだろう。これにちゃんと向き合わないと、マジで週末がつぶれる、あるいは来週いっぱい潰れるかもしれない、そんなのはいやだ。

もやもやの理由

 

□誰の失敗?自分の?竹宮惠子の?
帯だかリードだかで、「これは人間関係の失敗談です」とあったと思う。自分が人間関係で失敗した黒歴史です、という意味に思えるんだけど、実際の読後感と自分の失敗談です、という部分がどうしてもつながらない。基本的に自分のせい、と思ってしまう、自己評価が低い、というところと失敗談というのはつながるんだけど、わたしの読後感は、自分の失敗への苦い記憶という印象はなくて、、、特に後半。じゃあ竹宮惠子の失敗ということ?だとしてもなんかつながりが悪い、しっくりこない。

□だれのせいなの?
盗作疑惑&手紙をうけて、心身を病んだしまった。それは、理由はわからないけど怒らせてしまった、というショックからだと思った。自分の何が悪かったのかわからない、相手はなんでか言ってくれない、でもわたしが何かしたに違いない、何が起こったのか、どうしてこうなったのか。この心情はすごくわかる。ただ、ここに被害者、加害者の構造はあるんだろうか。いじめとかハラスメントだと、言葉で糾弾したり、仲間外れにしたり、権力の強い方が弱い方に圧力をかけたり、とかそういうことだけど、最終的に距離を置きたい、とお願いされたわけで、そして本人は、そうなったのは(理由はわからないけど)自分のせいと考えてるわけだから、竹宮惠子は加害者ではないし、萩尾望都は被害者ではないように思えるし、萩尾望都も被害者の意識はない気がする。なんだろう痴情のもつれ?悲しいしショックではあるけど、誰かを悪者にする話でもない気がする。
2対1で密室で問い詰める、というのは体験としてこわかったと思うし、表情とか空気とかピリピリして言い返せなかったのもなんとなくわかる。自分の著作に関して疑われてるっていうのもつらい(しかも言い返せず)。ただ、次の日忘れてくれ、と言われている、(感情的にならないように)手紙に言いたいことを託された、ことを考えると、一方的に敵対的に糾弾された、ということでもない気がする。自分の思っていることを言えなかったのは、自分の問題だと思うし、本人もそう書いてる。

□排他的独占欲ってなに?
最大の違和感は、誰かを悪者にする話ではないと思っていたのに、そして本人も自分自信に理由を向けていたのに、最後の方で、わたしは排除された、と言っている、結構何回も。理由も話さず一方的に排除されたと。でも、わたしはあちらのいう少年愛は特に興味ないんで、わたしの作品とは一緒にしないでいただきたい、というスタンスなので、排除というか自然の流れだったのでは?増山さんの少年愛に心酔していたわけではないから、増山少年愛側に入ってこないで、と言われてもショックを受ける必要はないハズ。そして排除した理由は排他的独占欲・・・。もちろん、嫉妬、執着の中にこのような感情はあると思うけど、すごい言葉の響き。受けるインパクトが半端ない。竹宮目線で読んでると、ところどころできかせてたジャブからのボディーブロー。ずっしりきたぜえ。本人にそのつもりがなかったとしても、攻撃的に聞こえます。やっぱり、自分のせいって思ってないよね?恨んでるよね??

まだ書き足りないので続く