首吊りだからと言って汚物まみれとは限らない

人気俳優の自殺のニュースは、
パーソナルトレーナーからトレーニング中に聞いた。

トレーナーさんは、過去に首吊り自殺の現場を見てしまったことがあって、
「でも、(よく言われるうんこ垂れ流してるとかはなくて)すごく普通にきれいだったんですよー」と教えてくれた。

 

そーなんだ、おしっことかうんこまみれとは限らないんだ、と少し救われた。

 

私は首のあともチキンだから見ることができなくて、
シモの状態がどんなだったかも知らなくて、
普通に世の中に流布してる噂程度の知識しかなかったけど、
彼もすごくきれいな状態だったのではないか、と思った。

 

今となってもどーだっていい話なんだけど。

自殺のニュース

自殺に関わるニュースについては、わりと、というか大変敏感だ。

当然報道では何が原因か探っているけど、
死人に口なしなのでわかるわきゃないし、
本人のコントロール外のところで起こしているので、
そこ、知ろうとしても意味はないと思う。

あまりにも要因がなさすぎて、残された人たちは理解に苦しむと思うし、
他殺じゃねえの?ってドラマみたいなことを一瞬頭によぎったけど、
酒量が増えてたっていう記事を読んで、
こりゃ自殺だなって思った。

あんなに節約してたのに、
ベランダにすごい缶ビールの空き缶が捨てられてて、
「すごくお酒飲んじゃうんだよ」って、
暗に助けてって言われてたのに、深刻に考えてなかったことを思い出した。

 

今、私はほぼアルコール依存状態。
日中は我慢してるけど、
いつ、起き抜けから飲み始めるかわからない。
それでも、私は生きてる。
むしろそれによってかろうじて生きているといってもよい。

私には助けを求める存在もないというのに、
それでも生きてるというのに、
どうして私がいたのに死んでしまったのか。
それは、下手に誰かいた方が絶望しやすいのかな、ということなのかな。

 

今さら、助けられたんじゃ、とか思わないけどさ、
責める気持ちもないし、私の過去の一側面でしかない、
と頭でわかっていても、涙がとまらない。

work from home

在宅ワークになってはや5ヶ月目。

そして年内は会社に行くことはほぼないであろう。

昇降するデスクを買った、無垢板の天板も買った、それを2日かけて表面をペーパーで研磨してオイルで仕上げて、でっかいワイドなモニターも買った、ハーマンミラー社のかっこよくて人間工学的にもすぐれている椅子も買った、ワークスペースを確保するために部屋のレイアウトを変えた、家具の移動を全部ひとりでやった、天板の下に電源タップとWifiルーターとケーブルを収納して、引き出しもつけた。

 

今まさに会社にいたときよりも快適な仕事空間で仕事してるのに、、、

 

全然集中できない。

 

年内はコロナの影響による解雇はなし、と宣言されたので、

人員整理の波は来年かなりドラスティックに起こるであろうということは、

頭ではわかっているのに、

危機感が芽生えない、目の前の仕事に全然集中できない。

 

セルフコントロールがかなりできる方だと思っていたけど、

私を制御するのは私しかいない場合、このゆるみまくった気持ちの私では、

コントロール不能、堕落のはじまり、いやすでに落ちきっているのでは。

 

ナウシカを映画館で

ナウシカは公開当時も観に行ってる。

でも小学校低学年生にわかるわきゃーない。

 

岡田斗司夫のブラナウシカ等で予習して、

一人で観に行きました。

今、もっとも日本で感染者が出てるのでは?と思われる

新宿歌舞伎町にあるTOHOシネマで。

 

とにかくこれを初見で理解できる人がいたら教えて欲しい。

あたしなんか数え切れないほど観てるっていうのに、

やっぱりよくわかんないところとかがある。

 

まあでも、音楽にやられていきなり電子ピアノ買ってみたり、

漫画全巻揃えてみたりしてみた。

 

四十代ってそんな感じだ。

ゲド戦記

2006年7月公開

彼が死んだのが2007年だから、死ぬ1年前にみたのだった。

死んだ年の夏に大阪でみたのだと記憶違いしていた。

その頃から病んでいた、今思うと。

ずっとテルーの唄うたってた。

あれ、死んだ年の夏じゃなかったんだー。

 

今となっては何を思い出しても泣いたりしないけど、

テルーの唄を聞いたら、こみあげるものがあった。

 

なんでからはわからないけど、

ジブリ作品が映画館で上映されている。

 

生きてたら一緒に観ただろうなー。

 

リモートワーク

3月頭からずっと会社に行ってない。

そろそろオフィスに戻る計画とか会社はしてるけど、

もう会社に行ける気がしない。

 

ある意味思い描いていた理想の生活かもしれない。

いきなり手に入れてしまった。

もう完全に一人で生きていける。

 

葬式のBGM

骨董屋時代の先輩のお母さんが亡くなってた。

メールで知っって、私は親が亡くなった経験はないけど、

身近な人は死んだことあるから、

なんとなく、話聞いてあげたくなった。

 

葬式のBGMを母の好きだった曲にしたら、

というか葬儀屋からオプション見たいの説明されて、

じゃあ、って注文したら、結構追加料金取られて困った。

しかも、BGMじゃなくてフルコーラス参加者全員でじーっと聞く、

みたいな状況になって、参ったよ、と言っていた。

 

葬式の音楽って、葬儀屋が故人の好きだった曲流しますよ、とか

よくあるパターンらしいな、と思った。

彼の葬式のとき、やっぱり聞かれて、

家族は好きな曲とか知らんし、私に聞かれたのだが、

彼は「音楽は筋肉少女帯しか聞かない」と言っていたので、

一瞬筋少を、、、と頭をよぎったものの、やっぱりそれは、、、違うのでは?と

特にないです、みたいに返事して、

結局葬式でかかってたのは、千の風になってのインストロメンタルバージョンだった。

あたしは、千の風になってを知らなかったので、

誰か無名の作曲家が葬式BGM用に作った曲なのかなーと、葬式の最中に考えてた。

その年(2007年)の紅白に出てて、これは葬式用に作った曲ではなかったということがわかった。

 

そして、いまだにお墓はない。

お墓の前に泣きようがない。だって墓自体がないんだもん。

 

あと、やっぱり筋少お通夜とか葬式にかけなくてよかったと思った。

無理でしょ、お父さんとかお母さんとかお姉さんとか、無理でしょ。

 

でも、私は、あんな葬式用インストロメンタルなの流したりして、

不本意だったのではないか、ということで、

インドくんだりまで行って、ガンジス川に骨巻いてやったんだよなー。

んで、最終的にビールと一緒に飲んだから。バラナシで。

もうイナフでしょう。

 

あたしもがんばりましたよ。

 

筋肉少女帯は、最近はボーンイン鶯谷っていうの歌ってるらしい。

筋少じゃなくて、オーケンが、かな。